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中野サンプラザフォトアーカイブプロジェクト~City of Nakano Sunplaza~制作発表会
2024.05.28

中野サンプラザフォトアーカイブプロジェクト~City of Nakano Sunplaza~制作発表会

■イベント内容
日 時 2024年5月18日(土)  14:00∼15:30
場 所 中野新区庁舎1F  ナカノバ
登壇者 中野サンプラザシティエリアマネジメント準備会 山野辺賢治
    写真家 西野壮平
    元中野サンプラザ 執行役員 渡邉武雄
当日は100名ほどの方に参加していただきました。
制作発表会のトーク内容をそのまま記録していく体裁でまとめております。

(山野辺)
中野サンプラザフォトアーカイブプロジェクトの作品制作発表会を始めたいと思います。よろしくお願いいたします。
登壇者の紹介ということで、3人の紹介をします。
山野辺と申します。よろしくお願いいたします。今回の主催で中野サンプラザシティエリアマネジメント準備会に所属しておりますが、野村不動産にも所属しており、サンプラザの再開発を担当しております。フォトアーカイブプロジェクトの発起人として、本日進行させていただければと思っております。
続いて写真家の西野さん。

(西野)
はじめまして西野壮平と申します。今日はよろしくお願いします。

(山野辺)
そしてゲストといたしまして、元中野サンプラザ 執行役員の渡邊さんにも来ていただきました。

(渡邊)
渡邊と言います。
このようなところに呼ばれびっくりしておりますが、よろしくお願いいたします。

(山野辺)
ありがとうございます。3人の顔写真はすべて今回のプロジェクトの中で西野さんに撮影いただいた写真をプロフィールとして使っています。

まず会を主催するエリマネ準備会は、2029年度完成を目指して新たな再開発を進めておりますが、中野の町を地域と盛り上げていくために立ち上げた任意組織です。これまで、桜のライトアップ、現在行っているアニメの街歩きなどを行っており、今後はローカルメディアも作ろうと考えております。

中野サンプラザが閉館するタイミングには、さよなら音楽祭・さよなら感謝祭というような閉館に関わるイベントをやらせていただき、区役所に飾らせて頂いておりますが、約1/100程のレゴで中野サンプラザを作ったりと様々な活動を行いました。

今回、フォトアーカイブプロジェクトを行うにあたり、中野サンプラザとは何なのか、色々考えていました。
今から3年以上前、公開企画会議という形で、渡邊さんにも出席いただきましたが、ワークショップを開催し、中野サンプラザとは何なのか、残したいDNAって何なのかということを、いろんな方々と意見交換させていただきました。そのようなことを踏まえ、このサンプラザをアーカイブとして残していかないといけないと再認識させられました。

そこで閉館後の建物の撮影をしたり、街の方々やサンプラザに関わる方々等いろんな方にインタビューさせていただいたり、3Dデータの計測など様々な取り組みを行いました。

またサンプラザメモリーズと題して、いろんな方々から、中野サンプラザの写真も、集めさせていただきました。

そしてクロージングムービーも作成しております。これは2023年7月15,16,17日で行ったさよなら中野サンプラザ感謝祭のオープニングや閉会のタイミングで投影いたしました。50年の歴史がサンプラザにありますので、建設過程から当時どういった施設であったかなどをムービーでまとめたものになります。
1973年に全国勤労青少年会館として始まりまして、当時首相であった田中角栄さんがここに来てオープニングを飾った映像もあります。6分と少し長いので今日はすべてお見せ出来ませんが、YouTube(https://youtu.be/g5Hx4sm1WcI)でも公開していますので、見ていただければと思っています。

そうやって色々とやってきましたが、何か物足りないなと、ずっとモヤモヤしていました。
中野サンプラザとは何なのかってずっと考えて、色んな方々からもお話を聞いて、それでステイトメントにも書きましたが、やっぱりまずはシンボルではあるものの、説明できない奥行きがあるような感じをしておりまして、一つの建物ですが、一つの都市のような、多様な活動がこの三角形の中で集積された場所だなと思っています。
また音楽コンサート、記念日の食事といったハレの日だけでなく、日常でも皆さん使っていただけるような場所として、ハレとケが共存していると。そして、我々も実は閉館の最後は事務所を構えさせて頂きましたが、いろんなスタッフの姿を見てきました。ハレとケが共存して、表と裏でいろんな人が、そこに関わっていた、そういったのが中野サンプラザだと思っておりました。

それを一つの作品として残すことに価値があるのではないかなと思っていましたが、そんな簡単な話ではないので、ずっとそうモヤモヤしていた中で、今から約2年4か月前に当時録画していた情熱大陸をたまたま見て、その時初めて西野さんを知り、知ったと同時にとても興奮して寝られなくなりました。
もう一度見ようと思って、次の日にまた見たら、やっぱり寝られなくて。
とりあえず企画書を一晩で作りいろんな方々に見てもらいましたが、なかなか理解してもらえない。という中でもういいやと思いアポなしで西野さんの個展に突撃して、「すみません。5分時間ください」って言って非常に申し訳なかったですが1時間ほど話しました。
後日、西野さんからも当時怖かったって言っていましたが。

(西野)
正直ちょっと圧が強く、2月なのに汗も結構かいていたと思うんですけど、とにかく1時間思いの丈を伝えられて、僕はそれを聞くだけみたいな感じだったんですが、当時はよくわからないまま、強いエネルギーを持って、僕に向かってきてっていうような、そういうような印象でした。

(山野辺)
私もこんな素晴らしい作品になると、当時は本当に思っていなくて、でも西野さんと一緒に何かやったら絶対自分のこのモヤモヤが解消される、これでアーカイブとして残すことができるんじゃないのかっていうことをすごく思っていました。なんとか西野さんに最後「じゃあ、とりあえず中野行きますか」って言ってもらったのが、一皮繋がったなっていうところで、そこからいろんな紆余曲折が出て、こういった作品が出来上がりました。
それではそもそも西野さんがどういう方なのか、今回作っていただいた作品についてご説明をいただければなと思っております。

(西野)
はい。この作品は、webとか雑誌とかそういうもので見てもどういう作品かよくわかんないと思います。というのは、一枚の作品の中に何万枚という写真が重なっている。貼り合わせて作っているからで、今回も結構大きい作品になっていますが、割と大きく見ることで、実態が見えてくるというような作品を作っています。

これは僕が大学在学中から作っている作品で現在も続いているプロジェクトになりますが、2003年に大阪から始め、日本では今、大阪、京都、広島、東京で、東京は2004年と2014年で2回作っていて、実は今年2024年でちょうど10年後の東京をもう一度作ろうというプロジェクトで今動いています。

(山野辺)
これまでの東京の作品に中野は入ってないんですよね?

(西野)
今回の作品は入れたいと思います。
なんでこんなことをしているかというと、高いところから、いろんな風景を撮って重ねて、一枚の大きな地図のようなものを作っていますが、よく見ると高いところだけではなく、歩きながら撮ったり、自分がその場所で食べたものとか出会った人とか。ただただ俯瞰のような地理学的な地図っていうものを作りたいわけではなく、より自分のパーソナルな経験とか体験のような、記憶を残した地図というものを作りたい。自分のメジャーで世界を測量するという意味では、グーグルマップのような、地図とは全く違う。その個人の経験とか、体験によって作られる地図っていうものを作りたいと考えています。
海外でも作っていて、香港であったり、最近ではサンフランシスコも作品にしました。

2020年の別府。先ほどお伝えしたように徐々にクローズアップしていくと、別府の象徴は、温泉なので、温泉に入ってる人たち。約1ヶ月半滞在して200棟ぐらいのお店に交渉し、撮らせていただきました。結構きわどいところも実は映っています。男性のお風呂が多いですが、女性の方も、交渉し撮らせてもらいました。
この作品もですが、遠目で見ると俯瞰の風景のように見えます。作品によって歩いていくと、自分自身の経験や出会った人っていうものがより見えてくると、距離によって結構見え方が違うっていうことが、この作業の面白さかなと思っています。

実際、アトリエでこういうような形で、それこそ3万枚ぐらいの小さな写真を重ね合わせ作っていますが、中野サンプラザにいるわけでもない中で、どういうふうに捉えていくか、非常に悩みました。

(山野辺)
私も西野さんの作品も色々見ていて、都市・山など広大なものを一枚の絵にするというのが西野さんの作品なので、この90mのサンプラザ1つで作品が成立するのかどうかは、私も半信半疑でしたが、情熱大陸を見て早く依頼しないとやってくれないんじゃないかという焦りもあり、半分わかってないのに突撃していました。

(西野)
そうですね。圧に負けてしまった感じでした。
ただ初めてお会いして、1ヶ月後、中野に一度伺いますということでサンプラザの中を見せていただきました。その時に割と中野サンプラザっていう、漠然としたイメージとして、コンサートホールがバーンと頭の中に出てくる印象でしたが、入ってサンプラザの中を見ていく中でいろんな人がいてコンサートだけではなく、テニスコートやボウリング場、ホテルがあり、ダンス教室とか、本当に輪切りにしたら毎回違う色が出てくるような印象で、すごくショックを受けた印象がありました。
なので、このサンプラザを撮るにあたり、階数によって異なる様々なカラーをうまく捉えることができるかもしれないというような発想に切り替わり撮影を進めていきました。
一枚一枚が本当に表情も豊かだし、すごくいいなっていうのは20歳の集いの時です。
撮影始めが2023年1月で最初の時でした。

(渡邊)
最初、写真撮るからと集まってくれた方々の撮影から始め、やんちゃな方もたくさんいる中で、いつの間にか西野さんがそこの中に入っていって写真を撮っていました。我々はすでにその中に入っていることにすごくびっくりしました。

(西野)
富士山の時と同様に、山という象徴だけではなく、もう少し中に入った、山にいる人であったり、山の周辺にいる人だったり、人を通して富士山を見るっていうことを試しました。それと同様に今回撮影のプロセスでサンプラザに集う人、働く人たち、そこに通り抜ける人たちのように人というものをテーマに撮影をするべきではないかとグイグイ人に向かっていきました。いろんな人を撮影させてもらいました。

サンモールの風景で、ガード下に貼られていた書道教室の外国の方が書かれた字だと思いますが、それもすごく印象的でした。サンプラザの中だけではなく、周辺で働く方々、サンモール、飲食店、夜の街だったり、いろんな風景の集積になっています。

(山野辺)
今回、スタッフの方が半分というと言い過ぎですが、かなり入れてもらえたなと、私はそこをたくさんとってほしいなという思いがあったので表と裏が混ざり合った、すごい作品になりました。

(西野)
中に入っていけばいくほどメインのようでこんなところにも部屋があり、人がこんなにもいるんだといった、裏方の人たちの仕事場を見せていただき、それぞれの階によって雰囲気も異なる仕事がありました。渡邊さんも撮っていました。

(渡邊)
いやしょっちゅう来ていましたよね。最初は我々も立ち会わないと色々とあるんで、なんて言って、立ち会いの人間をつけていましたけども。そのうちね、ブラッと来て、また来て、また撮っているっていう感じでしたから、いつの間にかみんな撮られている感じ。

(山野辺)
この集合写真は?

(西野)
6階の写真室です。婚礼の写真のために用意された部屋です。ライトとスタジオのバックだけ使わせていただき、撮らしてもらった集合写真。

(山野辺)
すごい皆さんいい表情されていますが、僕にはこんな笑顔を見せていただけなかったなと。

(渡邊)
こちら側の女性が企画課の後藤さんで、今回主にずっと西野さんについてもらいました。

20階の調理場のみんなも衛生的にどうこうだとか、仕事の邪魔だとか色々言っていましたが、みんなすごく嬉しそうですよね。本当にありがたい写真です。

(西野)
撮影の始めは多分、違和感があったかと。仕事場にちょろちょろカメラ持って歩いている人がいるっていうのでなんだろうというような感じで見られましたが、何度も挨拶をしたり、足で稼いて皆さんの元に写真撮らせてくださいって言っていたので、最後の方は空気のようにというか、またいるねという感じでした。それで何度も何度もやっていくうちに、関係性ができてきて、より良い表情を撮ることができたというような感じです。

(山野辺)
これは五丁目の方ですね。周辺の夜にも出てもらって。

ホールのアーティストの方々を撮るというのは、実はなかなか許可が下りなくて、これ最後まで危ういなと思っていて。サンプラザでホールの写真がないと物足りないんじゃないかと思っていたんです。ただ西野さんのお友達の友達でしたよね。

(西野)
シンガーの方はTRUEさんっていう方がもともと中野に住んでいらっしゃったみたいで、僕の中野に住んでいる友達がたまたま彼女を知っていて、交渉していただいたっていう感じです。

また人だけではなく、これは西側の歩道ですが、木漏れ日がきれいだなっていう、毎回見る度に思っていたので、それを撮ったというか、人だけではなく、その上にちょっと見えてるカーペットも、モノであったりとか。
上のバンケットはそれぞれ個性が違って、階によって、カーペットのデザインが違うっていうところもすごく興味深いところだったので意識的に撮っていました。

結婚式場やコンサートホールなど人がいない室内を撮るというのがどうしても面白くなかった。やっぱりそこでその部屋を使っている人たちを撮る必要があるなっていうことで、とにかく交渉が大変だったというような印象です。

(山野辺)
西野さんが最後貼り合わせる時に上から定点でカメラを置いていただいたタイムラプス映像があります。
タイムラプス映像

(渡邊)
制作する時に、これ最初って何から貼ったんですか?

(西野)
サンプラザです。真ん中の。
細かく貼ったものをパーツにして、パーツを組み合わせて省いていくっていうのがありながら全体像ができている。最初に全体像が浮かんで。全体像のイメージはこの時点ではある程度見えていましたが、例えば東京の街とかではないので、東京タワーが全然違うところにやったらおかしいじゃないですか。でもこれはプールが別に地図通りではないので、その場所に関してはもう結構自由に配置してっているような感じで。

(山野辺)
プールは最終的には空みたいに見えるなって思います。プールの天井に合わさった綺麗さというか、あれがすごく上に持っていったことで際立っているような。

(西野)
ある程度全体的な色のバランスを見つつレイアウトは決めていきました。全部で3万枚くらい。
キャンパスが真っ白のところから出来上がるまで日数で数えると結構早くて、2週間ぐらいでした。今回それに至るまでのパーツ作りに2ヶ月程かかりました。

(山野辺)
また、この構成に至るまで半年というか、結構かかりましたよね。
一回私もアトリエで打合せしたときに、この構成で行こうって決まって、やっぱりなんかサンプラザらしいなって印象がありました。

(西野)
そのきっかけというのは、南口の2丁目の屋上からサンプラザの写真を撮って、ようやくこの全体像っていうものが想像できたという感じです。最初に山野辺さんがスライドで見せていただいた断面図というのは、断面図の中に、人の顔、出来事を入れ込んで、サンプラザの形を型取ったような作品を作れないかということを思っていました。サンプラザを前の建物から写真撮って。そうすることでその奥行きが見えて。

(渡邊)
最初に山野辺さんがこの話を持ってきてくれた時に、やんないよって言いました。とにかく閉館に向けていろいろやることが多くて。一番は今いる社員の再就職についてまとめなければならないところに、こういう話がポンとくると、いやいやそんな時間無いんでやらないよって答えましたが、西野さんを連れて再度来た時に、すごい有名なので、なんか来たぞというミーハー魂がついて「やります」なんて答えちゃいました。
それから当時、総務部企画課長の木村さんに後やっといてって言って怒られました。ですが、彼女はサンプラザの企画のエンジンだから、あのエンジンに火がつけば具体的に前に進み、後藤さんがどんどん進めてくれたおかげで本当に素晴らしい作品が出来上がりました。ありがとうございます。

(山野辺)
本当に最初の渡辺さんの渋い表情というか、頑ななところを私は今でも覚えていますが、そうだったからこそ写真の笑顔がこんなに素敵だなと、最初に写真見たときに衝撃的だなって思い出しました。
では一通り一旦説明を終わりましたので、もう少し延長線でお話できればなと思っております。
まず、渡辺さんに聞きたいのは、やはり私もこんなにも素敵な作品になるというのは思ってなくて、最初どうなる?どんな作品になるんだろう?という半信半疑で西野さんに依頼していて。
だから渡邊さんにもどういった作品になるかちゃんと明確に伝え切れてなかったので、渡邊さんには今日まで作品について明かしませんでしたが、今日まず見ていただいてどんな思いだったのかなっていうのをお聞きできればと思っていました。
私が最初に完成版を見た時に思い浮かんだ人が渡邊さんだったので。

(渡邊)
あのパッと見、本当になんて言いますか?高いところから撮ったサンプラザを中心とした風景みたいな感じですが、ちょっと見れば全然違うのがよくわかるので。さらによく見ていくと顔がいっぱいあるのがいいですよね。当時、社内で西野さんというカメラマンが来てくれて、みんなの写真を撮るんだけれど、多分出来上がると豆粒みたいで誰だかわかんないと思うけど、とにかく撮ってくれるからっていう。でもよくわかりますね。みんなの顔が。ここまで大きくすると割と小さくても結構しっかり見えるんですね。
これ多分見た元社員のみんな喜びますよ。これ知ってる知ってるって言って。

(山野辺)
一度見るともう離れられなくなるというか。近づいて見て遠くへ繰り返し見たりしても結局ずっと見ちゃう作品だなと思います。
渡邊さんが最初は結構渋くて、でも徐々に協力いただいたなと思ったんですけど、そのターニングポイントじゃないですけど、何かあったりしますか?

(渡邊)
やっぱり、そこは西野さんを連れてきたら気持ちのチェンジというか。富士山の作品も見せてもらって。
そもそも、コンサート会場で働いているような人間ですからミーハーなんだと思いますけど。とは言え、有名なカメラマンに写真を撮ってもらえるということでちょっと喜びました。ただ、こんなに来ると思ってなかった。こんなにしょっちゅう来るとは思わない。

(西野)
例えば東京、富士山等もそうですが、その場所に住んでそのベースとなるところがあって。いろんなところに自分がこう歩いているような感じだったんですが、当時、静岡県の三島というところに住んでいたので、そこから通わないといけませんでした。自由に他の都市のように自分がそこに行って旅をするように、いろんなところも自由に撮れたので良かったですが、今回はサンプラザに関わる人を撮るということだったので。
しかも結構企業さんも多かったので、働いている人たちを撮るというのって勝手にこう自由にパッと取るとかが難しいことで。あのコンサートホールとかもそうでしたしアポ取りがまず最初にあって。
また今回は日程合わせて行くっていう形で、例えば1回のアポがあれば1週間の滞在の中に詰めていかないといけなくて。そうじゃないと一回行ってまた新幹線で帰り3日後にまた来てということになってしまうと、結構手間がかかるのでその部分においては他の撮影のプロセスと、違うところでした。
毎日、中で行われることが違うので、この日来てもらわないと困るというものもあり、絶対来てくれとか、そういうこともやっていたり、結構撮影者に合わせて写真も撮っていて。

(山野辺)
本当にいろんなところから撮っていただきました。最後もそうでしたけど、最初は結構高いところから撮っていただきました。一番左はサンプラザの横のビルから撮って、真ん中は先日竣工した南口の2丁目ビルの屋上です。
一番右はわかりにくいですが、サンモールの上に。あそこに上がれるんだということに驚きました。

結婚式というか。そういうのも合わせて撮っていただきました。だから平日、土日関係ないような感じですね。最初は建物とかサインとかだったらまだ良かったんですけど、徐々にお客さんを取りたいとか、こういう話になってくると、調整はなかなか大変でした。顔がわかる写真についても許諾を取るってことで、リージョンワークスの日方さんという方が毎回調整して毎回取ってくれました。

(渡邊)
最初、20歳の集いの方々をサンプラザの前の広場でみんなでワイワイしているところにグッといって撮らしてくださいみたいな。一応、紙を持ってこれに書いてください。みたいな感じでしたけど。まさかこういう作品の中に自分が入るだろうということをわかってなかっただろうと思うんで。

(西野)
その方々にも見ていただきたいなと思って。今回、作品の真ん中に成人の若い方々を入れたっていう意図も、この人たちがこれから中野区でいろんな活動されていくんだろうということや、次の建物になる時には、彼らが30歳ぐらいになる。その未来に、この作品がこのあと十年先どのように彼らの目に映るんだろうか?っていうことも、想像して象徴的に真ん中の方に。区長もその少し端っこの方に。

(渡邊)
結局サンプラザって、1階から5階のコンサートホールが有名だが、あそこに来る人って、基本的には街の外の人。6階から上にあがっていうのは、基本はこの仲間の人たちが使ってくれたレストランで。記念日に利用する、いつも忘年会、新年会は宴会場でやっていましたよっていう人たちに混じって、成人式はここでしたっていう人が凄く多い。

(山野辺)
結構、ここに至るまでも大変だったというか、色々あったというか。西野さんのアトリエにいったらブロードウェイの青木さんがちょっとすごいことになっていたり。

いろんなシミュレーションがありました。例えば私が最初にイメージしていた断面図。
当時、50年前に書かれていた断面図は一個一個細かいディテールがちゃんと書いてあって、それぞれこういう活動があるみたいなのが、当時の思想で書かれていました。最初の私のイメージはこの実写版のようなものができたらいいのではないかとふんわり思っていました。

西野さんでも、ああでもない、こうでもないとか、カラーがいい、白黒がいい、または青っぽくした方がいいなど様々なことを考えていただいて。構想だけで半年ぐらいかかりましたよね。

(西野)
そうですね。構想が固まってから最後までは一か月ほどで結構早かったです。

(山野辺)
途中はどうしても西野さんの作品は都市や山なので、例えば山の稜線、川とか、ラインで区切れるものがあったので、作品の時に見やすさがあると思っていましたが、人が繋がった今回でいうと、壁や床など仕切れるものがないので、どうやってそれを一つのパーツとして組み合わせられるかという時に、例えばホールの椅子の座面が木でできているので、全部細く切り額縁を作ろうかみたいな話も。交渉がなかなかハードで実現できなかったんですよ。実は。

(西野)
そうですね。アーカイブプロジェクトということなので中野サンプラザの一部が僕の作品の中に入っているということ自体が結構意味があるのではないか、シンボルというか象徴的なものは何かといった時に、コンサートホールの座面に書かれているシートの番号が結構面白いなと思いました。Aの1とかではなく、32列の41番みたいに番号に番号みたいなのも、結構珍しいのではないか。それを使って額装を作れたら面白いな、というアイデアも途中にありました。
一番左下は最初、断面の中に入れていこうみたいなところがあったら、立体的な中に、床だけ線で書いてみて表現してやれば区切れるんじゃないかとか。最初は下から20層積み重なっているのを丁寧に読み取ろうとした時期もあったかな。

(山野辺)
私は最初に、西野さんにサンプラザって都市なんですっていう嘘みたいな話をしていたんですが、本当に最後こう都市になったというか、本当に俯瞰して見たら、ただの中野の街なんじゃないかって。でも一個一個見ると全部サンプラザの中で行われてきたということは、活動がすべて外に出て、都市みたいになったと感じています。

(西野)
今回、人を建物の中に入れこもうとしていたんですけども、最終的には建物を外に配置したことで、このような作品ができたっていう感じです。本当に今回のタイトルである「City of Nakano Sunplaza」にしたのも、本当にサンプラザっていう建物の中を撮っているんですけども、様々な人たちの集合体でもあり、撮っていく中で、サンプラザ自体が中野という町の象徴でもあるので都市と言い換えてもいいんではないかという発想に切り替わっていったというところが、最終的に作品にグッと近づいて進んでいったかと思います。

(山野辺)
細かい技術的な話をすると、下の方は結構大きい写真にしていて、上の方は細かい写真を入れたことによって遠近感も表現している。

(西野)
地平線があることで、よりこう都市というか町の風景のように見えるということになるなと思っていました。
サンプラザの屋上から撮った風景を上の方に持っていくことで、より遠近感が出るなということはやりながら感じていました。

(山野辺)
結構、私もプロデューサーというか、再開発にあたり、閉館まで二年間ぐらいずっとサンプラザの中に入って、ずっといろいろ見てきたんですけど。
どうしてもやっぱり今回西野さんが撮影していた半年しか結局この作品が表現できないので、他にもいろんなことがあるのがサンプラザかなと思っていたんですけど。長くサンプラザで働いていた渡邊さんが辞められた今、振り返った時のサンプラザの思い出とかあったりしますか?

(渡邊)
僕がサンプラザに入ったのは民営化したすぐ後なので。混乱している中で入ってきましたが、中野サンプラザってやっぱりコンサートホールのイメージしかなくて。僕も中学二年生の時に、コンサートを見に来たのが初めてで、まさかそこで働くとは思っていませんでした。民営化してから、特にその町の人たちとの関わり合いがどんどん濃くなり、私もそういった方々とお話をする機会が増えてきた中で、やっぱりサンプラザってどう考えても、町の町内会が108もあるんですが、その人たちがいないと成り立たない、これは本当にずっと思っておりました。顔も覚えていただいたり、こちらもお名前を、教えていただいたりなんかしてすごい密な関係で、過ごさせていただきました。
中野駅降りて、あそこにサンプラザがあるなっていうのを見て、中野の人は帰ってきたって思うんでしょうし、中で何やっていてもこの形でそこにあるから、中野サンプラザだったっていうのをつくづく思っています。無くなるというのは相当な喪失感だと思います。
入った時から、もう町内会というか、地域とやっぱり共にある。そういったサンプラザの姿がありました。

(山野辺)
今回、西野さんには、商店街とか他のところも写真も撮っていただきまして、作品の中ではあえて混ぜてもらいましたが、繋がっているねという話をしながら。そこは渡邊さんが来た時には、地域のつながりを感じていたんですか?

(渡邊)
そうですね。一度関わっていただくと、どんどん深い関係になっていくっていう。中野って東京からすぐ。東京からっていうか新宿からもすぐ近くにあるのに、ものすごい都会のはずなのに中にいると、言葉を選ばずにいうと、田舎なところがあり、コミュニティに入れていただくと、すごく仲良くしてくれるいい街です。皆さん写真に出てらっしゃるので涌井さんとか、素晴らしい笑顔に映っているのでとてもありがたい作品です。

(山野辺)
私もサンプラザに入った時にエレベーターの中ではみんな顔なじみで上から下に行くだけで、ストーリーがある、みんな仲良しでした。違う会社なのに。田舎じゃないですけど、村社会というような。結構そういったのもあり、西野さんには裏方の人を撮ってほしいなとずっと思っていました。
西野さんの過去の作品で景色とか細かいところを積み重ね、全部が全部人じゃなかったなと思っていますが、今回人を結構多く撮ってもらったと思うんです。そこに至る経緯とかお考えありますでしょうか。

(西野)
人だけで、その作品を構成するっていうのが初めての経験だったので、最終的に風景写真を結構入れたことで、一つの作品として成立することになりました。それまでは自分のデータストックに人の写真ばっかりがあり、それを構成するのに下手したら卒業アルバムの最後の方のページでみんなで持ち寄った顔写真を貼り合わせたようなものにもなりかねない。すごくどうしよう。人を撮りたいし、撮っているんだけども、ただそれをじゃあ作品としてどのように昇華させていくか、作り上げていくかというところを、同時にチャレンジみたいなところでギリギリまで悩んでいました。

(山野辺)
テニスコートのところではないですが、カメラをずらしながら撮って、それをつなぎ合わせて、それをさらにつなぎ合わせていくという。西野さんはこれまで作風というか、それが20歳の集いの時もそうですが、場だけで特に連続性がない。でも20歳の集いとかなんかそんな感じの雰囲気もすごく伝わってくるというか。

(西野)
ありがとうございます。いろんな表情で面白かったです。そのために途中から人だけではなく、路面、建物の断面であったり、カーペットであったり、つなぎの部分で人と人の間に貼る写真っていうもの結構意識してそれで徐々に作品を整理させていたという感じです。

(山野辺)
お時間も迫り、一時間超えてきましたので、これで終わりたいと思います。
最後になりますが、私自身の思い出もありますが、やっぱり中野サンプラザがたくさんの方に愛されたように、この作品もいろんな方々に愛してほしいなと思っています。見ていただいている方々を見ると、数秒でこの作品見て終わりという人は本当にいなくて、じっと見てくれています。ご自身の思い出を振り返りながら見ていただいているのだろうなというのをすごく感じていたので、一人でも多くの方々にこの作品を見て楽しんでいただき、いろいろな思い出と向き合っていただけると嬉しいなと思っています。
我々としても素晴らしいものができたと思っていますが、例えば評論家がすごいというわけではなく、このサンプラザに関わっていただいた方々、地域の方々にそう思っていただきたいなと思っています。
なるべく多くの区民の方々、関わっていた方々に、この作品見ていただきたいと思います。
ありがとうございました。

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